昭和39年9月26日〜10月9日(晴海)
翌年4月に予定されていた乗用車の輸入自由化を目前に、海外メーカー3社が出展することになった。これを機に「全日本自動車ショー」を「東京モーターショー」に改め、同時に報道関係者の取材協力のための「プレスルーム」を開設するなど国際ショーへの本格的な一歩を踏み出した。国産乗用車といえば4ドアセダンが多かったが、このショーではGT、クーペなどを名のる車種が多く展示された。スポーツライクなクルマへのあこがれもあったのであろう。昭和30年代のモータリゼーションの推進役ともなり、業界の名勝負ともいわれたブルーバード対コロナ、いわゆる〝BC戦争〟のもう一方の主役、3代目コロナRT40型も登場し、ブルーバードと競い合っていた。