昭和43年10月26日〜11月11日(晴海)
この年は業界再編成の動きがみられた。日産はプリンスとの合併(1966年)に続いて富士重工とも業務提携。トヨタは日野、ダイハツと業務提携を行った。日野はこのとき、コンテッサ(乗用車)の生産を止め、乗用車館から姿を消した。交通安全、公害問題も大きくなり、5号館に安全科学センターが設置され、シートベルトの実験、アイドリングの調整法などをPRした。はじめての試みとして「子供の交通安全教室」も設けられた。展示車としてはトヨタ・クラウンハードトップ(2ドア車)、コロナマークⅡ(1600、1900)が人気を集めていた。ほかにも日産・ローレルや6気筒エンジンを搭載したスカイライン2000GT、いすゞ・117クーペ、トヨタのスプリンタークーペなどが登場した。